4日目「私設展望台でご接待」

歩数 17652歩
距離 14km

お遍路ード4日目の行程は、2泊した土佐市のホテルから宇佐の36番札所青龍寺までの12kmほど。距離的にはほんの半日コースだが、途中「塚地峠」という歩き遍路の難所がある。トンネルを使えばわずが10分くらいで通過できるが、ここはがんばって、昔から使われてきた峠越えの古い遍路道を選んだ。塚地峠の標高は190m、塚地峠越えは標高差140mの急峻な山道を越えるルートであった。塚地峠越えの道は、高知県が唯一遍路道の史跡指定を検討している歴史ある道だそうで、昔はお遍路さんだけでなく、宇佐で獲れたカツオを土佐市に運ぶカツオ道でもあったという。
きれいに整備された登山道は一歩足を踏み入れるとまるでエアコンをめいっぱい利かせたフィットネスクラブのように涼しい。日差しも周囲の杉林が遮ってくれるのでものすごく気持ちがいい。時間を惜しんでトンネルの中を排気ガスと車の騒音を背負って歩くか、時間を捨てて気持ちのいい歩きを選ぶか。先を急がない黒ちゃんは迷わず後者を選んだのだが、この選択がとんでもない幸運を呼ぶとは、さすがのお大師様も予想できなかっただろう。

30分ほどの快適だが急峻な山道を登り切り、塚地峠の看板の横で休憩していると、宇佐側の山道をにぎやかに登ってくる5人ほどの私と同年代の男女の集団に出会った。これから宇佐に下るところだと言うと、「すぐそこに景色のものすごい場所があるから一緒にどうぞ」と誘われた。塚地峠から大峠に向かうハイキングルートからちょっと東に外れたところにその私設展望台はあった。
「私設」と書いたのは文字通り、彼らが自分たちが楽しむために作った民営の(笑い)展望台だったからである。極太の孟宗竹で作られた居心地のいいベンチが3つ、宇佐湾を見下ろす絶好の位置に据えられている。宇佐湾から吹き上げてくる風が汗をさあっと運び去っていく。なんという心地よさ、なんという美しさ。「きっとこれは、歩き遍路さんだけに塚地峠が用意してくれたご接待なのだ」と心からそう思う。
結局、この私設展望台で小一時間ほど休憩して山道を宇佐に向けて下り、港の入り口に関所のように構えているひるめし処「宇佐もんや」に到着したのは12時少し前だった。塚地峠の熟年集団に「宇佐で昼ごはんを食べるとしたら、どこでしょうかねえ」と聞いて間髪入れずに返ってきたのが「宇佐もんやのウルメ丼」だったのだ。

昨日のランチは狙っていたクジラカツ丼が売り切れだったので、ひょっとして今回も…、と少し心配だったが、「漬けのウルメ丼」は大丈夫だった。よく漬かったウルメイワシの刺身を熱いごはんの上に乗せ、上から刻みネギと海苔、おろし生姜をふりかけてある。少し濃いめの味付けながら、とれたての新鮮なウルメイワシを使わなければ作れない素朴で上品な味の丼でした。
店のおかみさんに聞くと、お遍路さんの立ち寄りは意外と少ないとのこと。よくよく考えてみれば黒ちゃんみたいに遅い出発(朝8時半)でかつ塚地峠越えというのんびり遍路さんしかランチタイムにこのお店の前を通過しないから当然といえば当然かも。黒ちゃんみたいな「のんびり遍路さんが増えると、宇佐もんやが儲かる」って。(なんのこっちゃ)
今日の目的地36番青龍寺まではあと1時間弱。「宇佐もんや」の商売繁盛を祈りながらおかみさんに別れを告げた。

3日目「雨遍路は空身遍路がいい」

歩数 14389歩
距離 10km

お遍路ード3日目は初の「雨遍路」になった。ふつう雨の中の遍路は辛く気分が滅入るものだが、それは体が濡れて体温を奪う、雨具を着るのでなんとなくうっとうしいなどの理由からだと思う。加えて重い荷物を背負ってとなると「楽しい遍路」には程遠いことになる。そこで黒ちゃんは「楽しい遍路プロジェクト」として初の雨遍路に備えて2つの工夫をした。ひとつは空身で歩くこと、もうひとつは最先端の防水仕様の装備を用意すること。
空身(からみ)とは荷物を持たないで歩くことです。以前、何度も四国遍路をやっているという年配のベテランお遍路さんの話を聞いた時に、「黒ちゃん、お遍路はそれほど大変じゃないんですよ。空身で歩ければお年寄りでも楽にできます。私は荷物を泊まる先々に送っておいて、その都度送り返しながら空身で歩きましたから」と言っていたのを思い出した。で、宿にザックとアイパッドなどの重い通信機材をすっかりおいて、雨具と傘と首にかけるサブバッグだけを持って清滝寺を目指しました。
背中の荷物がないだけでなんと身軽で爽快になることか。目からウロコではなく、背中からウロコが落ちる感じでした。(なんのこっちゃ)できるだけ荷物を軽くするミニマムシフトは歩き遍路の常識ですが、この究極のミニマムシフト「空身お遍路」も試してみてはいかがでしょう。もっともクルマと歩きを組み合わせたハイブリッドお遍路を実践されている方はすでにこのスタイルを使っていると思いますが。

最先端の防水仕様はゴアテックスです。ご存じない方のためにすこし説明すると、ゴアテックスは30年以上前に開発されたナイロンと特殊フィルムを貼り合わせた新素材です。水は通さないが通気性はあるという性質があり、蒸れなくて快適なので、雨具や靴、帽子、テントなどアウトドア系のウエアや装備にどんどん使われています。今回のお遍路に備えてアウトドア用品メーカーのモンベルがライセンス生産しているイタリアの靴メーカーアゾロのゴアテックス靴、ゴアテックスの上下レインウエアを用意していたので、さっそく使ってみましたが、軽くて蒸れず、極めて快適でした。これに登山用の軽量折り畳み傘を加えて「雨遍路3種の神器」と名付けようか、と思います。(笑い)

土佐市から清滝寺に向かう道は車道を通りたくないのでGoogleMAPの「歩き」モードで検索したルートをたどったのだが、これがなかなかステキな道を選んでくれる。農道、住宅街、細い切り通しなどクルマでは絶対に入り込むことのないしぶ〜いルートを案内してくれる。「グーグルって外国人なのに日本の地理にこんなに精通してるなんて、結構やるじゃん」ってな気分になりました。
清滝寺は土佐市を見下ろす山の中腹に建てられていて、境内からは市内が一望できる好立地。今日は雨に煙る水墨画のような土佐市を一望することができました。ご本尊は薬師如来、真言の「おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか、」と「南無大師遍照金剛」を唱えていると、黒ちゃんのお腹が「ぐうぐう」と唱えはじめた。そろそろお遍路ランチモードだな、ということでまたまたGoogleMAP君に道案内を託して人気ランチの店「稲月」へ針路を決める。
しかし!!お目当ての「クジラのレアカツ丼(ワインソース)」は品切れだった。ザンネン!すっかりクジラに照準を合わせていた胃袋をなんとかなだめすかして「鰹の天麩羅わさび銀飴」で手を打ちましたが、カツオと天ぷら、意外に相性がいいのを発見しました。

2日目「お大師様カットでお願いします」

写真 2 (4)

写真 42日目
歩数 29328歩
距離 21km

朝食を6時にとるが、このブログの1日目の原稿を書かなければいけなくて、出発を7時にずらしたが意外に手間取り、実際のスタートは8時くらいになった。高知屋のおばさんにお遍路ードプロジェクトで「楽しいお遍路」を実践しながら歩いて今朝が2日目と話し、高知新聞の朝刊で旅の様子を毎日記事にしていると話すと、「がんばってくださいね」とやさしい言葉をかけていただいた。私もお礼に「ここのお遍路さん用の無料洗濯サービスは、どこの一流ホテルでもやっていませんよ」とほめちぎると嬉しそうだった。高知屋さんもがんばってくださいね。

33番札所の雪渓寺は、まだ8時過ぎだというのにバスでやってきた団体のお遍路さんで境内はいっぱいだった。真言も般若心経も手早く済ませて納経帳に判と墨書をいただき34番種間寺に向かう。種間寺までの遍路道には野の花があふれていて、花好きを飽きさせない。野仏の素朴な表情や芍薬園の大ぶりな芍薬の花畑などをのんびり眺めながら歩くうちに種間寺到着。
種間寺の山門前には珍しいことだが床屋さんがある。ご主人に聞くと88ヶ寺で床屋さんが備わっているのはここだけだろうという。黒ちゃんは半月前に散髪を済ませていたのだが、ここはぜひ体験したくなって、本堂にお参りする前に飛び込んだ。床屋さんは小野理容店といって、高知市内の愛宕4丁目で開業していたが、年もとったので実家のある春野に帰ってきてここで開業したのだという。
「どんな風にしますか」と聞かれたので「お大師さまカットでお願いします」と言うと「よっしゃー」という感じで見事に整えてくれました。どこがお大師様風なのか聞き逃しましたが。(笑い)
34番種間寺もバス遍路さんで境内は満杯昨晩あたりからだった。ここ2日間だけだがお遍路ブームは確かにきているなと感じる。私の直前に小野理容店で散髪したのはイギリスから来た外人さんだったというし。

ご本尊薬師如来さまに真言を捧げて種間寺をあとに次の目的地「金春」に向かう。失礼、「金春」はお寺ではなくうなぎ屋さんです。我が家はここの「うな重」の大ファンなので、すぐそばまで来たのに素通りはできない。高知新聞の竹内記者を説得して1時間の遠回りルートで金春に到着。昼どきで混んでいたが諦めず15分待ちの列に並んだ。
人気の茶碗蒸し付きうな重でパワーをつけ、体を休めて本日の宿泊先のホテルがある土佐市に向けて歩き始めるが、炎天下の遠回りうなぎ街道ルートは過酷だった。うな重で充填したパワーもあっという間に消費してしまい、仁淀川をバタバタで渡り、やっとのことでホテル到着。
しかし、雪渓寺→種間寺➕散髪➕うな重→土佐市の本日の新ルート設定は「お遍路さんにもお勧めしたいね」で、竹内記者と意見がぴったり合いました。
改良点があるとすれば、宿泊を土佐市のホテルではなく手前の「春野の湯’」あたりに設定しておけばベストでした。参考にしてください。

1日目「うれしい無料洗濯サービス」

1日目
距離 21.9km
歩数 30,125歩

高知市の中心部はりまや橋から歩き始めて、31番札所竹林寺→32番禅師峰寺→33番雪渓寺まで歩いた。
竹林寺ではご住職の海老塚さんが待っていてくれて、本堂で般若心経を詠んでこれからの1400kmの長旅の無事を祈ってくれた。
海老塚さんの声は本当に美しく心にしみる。
声がいいことはお坊さんの必須要件かなとなどど余計なことを考えた。

50年ぶりにご開帳されている秘仏文殊菩薩のお顔を拝んだが、その横顔の美しさに息を飲んだ。
「50年に一度しか外の空気を吸えない文殊様の哀しみのようなものを感じるね」と同行の高知新聞の竹内記者が美しいコメントを吐く。
私は「50年に1歳しか年をとらないから若々しい顔立ちなのか」と思う。
海老塚さんも前に見たのは子供の頃だったと言っていた。
私も竹内記者も次のご開帳は見れないのだと思うと、人間という生き物の刻む時のはかなさに暗然とする。

お遍路道のあちこちに花が咲き乱れ、様々な花の香りをはしごしながら歩く。
とりわけ強いのは柑橘の土佐文旦の白い花の香りだ。近くを通ると「花に酔う」感じになる。
これはお歩き遍路をしないと体験できない「花酔い」だ。

禅師峰寺は境内からの土佐湾のの眺めが素晴らしい。
五月の海風を胸いっぱいに吸って、リフレッシュしてから次の雪渓寺へ。
15kmを越えたあたりで太ももが徐々に重たくなり始めて、筋肉痛の攻撃が始まるが、なんとか種崎の渡船場に着く。

次の船の出航を待つ間、高知新聞の竹内記者は明日の朝刊に載せるコラムを書き始めた。
連載「ハマちゃんと歩く1200年目の88カ所」は私のお遍路に完全同行する竹内記者が書くコラムで、歩いている間は欠かさず、前日の様子を次の日の朝刊に載せるという意欲連載である。
竹内記者が記者生命をかけて取り組む(本人談デス)チャレンジ企画だ。高知新聞をお読みの方はぜひご愛読ください。
お遍路をしながら毎日夕方6時までに原稿を送らなければいけないので、確かに大変そうだ。
はたして計画通り連載が続くのか、一緒に歩きながら見守りたい。

第一日目の宿は雪渓寺山門前の「おへんろの宿 高知屋」。
ご飯が美味しいと評判のへんろう宿である。
確かに6500円の民宿価格にもかかわらず、夕ご飯にてんこ盛りの鰹のタタキがついた。
なるほどと思ったのは、着替えを預けると翌朝にはちゃんと洗濯をして乾いた衣服を戻してくれるサービスだ。
これはありがたい。
どんな一流ホテルにもないサービスである。お遍路さんに人気がある理由がわかった。

★ ★ ★

【写真】
写真 1
竹林寺海老塚住職に見送られて。「途中、釣りしたい煩悩に負けないように」との餞別のお言葉。^_^

写真 2
金剛杖に混じって黒ちゃんのトレッキングポールが。ものすごい違和感です。

写真 3
外国人お遍路が増えているのでこんな看板も。デザインがかっこええなあ。

写真 4
のどかな遍路道に立派な道標。ある石屋さんがボランティアで作ってくれていると聞いた。ありがたい。

写真 1
黒ちゃんのザック。重量7.6kg。向こうは土佐湾の水平線。

写真 2
禅師峰寺から土佐湾をのぞむ。山内容堂公も参勤交代のために江戸に向かう際には必ずここへ立ち寄ったという。

写真 3
種崎渡船場で執筆活動中の高知新聞社会部の竹内記者。私の1400キロの旅のパートナー。
こんなことしてて会社を首にならないとは。高知新聞って結構スゴイ会社かも。^_^

写真 4
午後5時にしてこのお遍路さんの集団。33番札所雪渓寺の境内。今年が88箇所開創1200年の節目らしい光景かも。

写真 1
翌朝には乾いた洗濯物が戻ってくるサービスが素晴らしい「おへんろの宿 高知屋」

写真 2
高知屋の朝食。朝6時からのお遍路メニュー。

Let’s go o-henroad!黒ちゃんの「釣りときどきお遍路」日記

ごあいさつ

弘法大師信仰によって四国霊場88ヶ所が開創されて今年でちょうど1200年。
お遍路さんの歩く道、全長1400kmの遍路道は四国が世界に誇る貴重な祈りの道であり、文化遺産であることはいうまでもありません。
しかし、歩き遍路(全行程を徒歩でたどるお遍路スタイルのこと)の立場でこのルートをいろいろ点検してみると、排気ガスにまみれて車といっしょに歩かなければならなかったり、真っ暗なトンネルを手探りで歩く箇所があったりと、お遍路さんにとって必ずしも快適な旅とはいえません。

若くて好奇心に満ちた若い人たちや国際感覚を備えた外国人などがどんどんやってきて、その素晴らしさを世界に広く発信する役割を担うようにならないと、貴重なお遍路文化が先細りになるだけでなく後世に残すこともできなくなるのでは、と黒ちゃんは危惧しています。

いままでの「正しい」お遍路のレールのほかにもう一本、「楽しい」お遍路のレールを敷けないか。先を急ぐお遍路のほかに、先を急がないお遍路ができないか。悩みや煩悩を抱えるお遍路のほかに、刺激を求めるお遍路ができないか…。今まで単線だったお遍路の線路を複線にしてお遍路のハードルをもっともっと低くし、今までお遍路に興味を持たなかったたくさんの人に遍路に興味を持ってもらおう。そう考えて、黒ちゃんは同じ思いを持つ仲間と、1年前に「お遍路ード(おへんろーど)プロジェクト」を立ち上げました。

「お遍路ードプロジェクト」の目標は、1200年続いた貴重なお遍路文化を後世に伝える担い手として若いお遍路さんや外国人のお遍路さんを増やして国際的な「祈りの道」をつくること、安全で快適で、観光にも使える美しい1400kmの「お遍路専用道」を作ること。

ただ、実現のへ道は簡単ではないでしょう。お遍路を「観光」として捉える視点、お遍路さんを「旅行客」として扱うホスピタリティ、お遍路の周囲にさまざまな「ビジネスチャンス」を見つける努力がどうしても欠かせません。
実際にお遍路をしながらその方策をいろいろ考えてみる必要があるな。そう思い立って、2014年5月10日を期して歩き遍路に出ることにしました。私は高知家の人間なので、スタートは高知市五台山にある31番札所竹林寺、ゴールも竹林寺にしました。毎月7日から10日間・を歩く「区切りうち」というやり方で、88ヶ所1400kmのロングディスタンス・トレイルをたどる旅になります。

その旅のありさまを日々刻々リアルタイムで、このブログで伝えていくつもりです。
どうかよろしくお願いいたします。

追伸
黒ちゃんは自他ともに認める釣りバカなので、弘法大師さまと釣り竿を背負ってのお遍路旅になります。
先を急がないので、良い釣り場があれば足を止め竿を振るし、お遍路道をはずれて遠回りもします。
刺激を求めて、夜は居酒屋にも行くし、お酒も少し飲みます。

どうかお許し下さい。

「昼下がりのデザート」 by山猫母

土佐人にとって、文旦はおいしい冬のめぐみである。

例えば夕食のあと、家族団らんのこたつの上に、母親が文旦を置く。
文旦の外皮は分厚いので、皮を剥ぐのは大人の仕事だ。
子どもは今日学校であったことを話しながら、文旦の皮を剥ぐ母親の手元をじっと見ている。
そして小房が取り分けられると、子どもは話すのをやめ、指の先に力を入れて内皮をむき始める。指にあかぎれやさかむけがあると非常にしみる。
しかし、そんなことにはかまっていられない。
酸っぱくてプチプチした果実を一刻もはやく口に放り込みたい。
文旦は、そういう果物である。

弁当が終わった机の上に、ナップサックから大きな文旦をまるまるひとつ出した男子がいた。
いくら馴染みの果物とはいえ、高校の教室には少し場違いの様で、弁当箱を片付けていた友人たちの手は止まり、みな文旦を凝視した。
しかし、本人はちっとも気にしておらず、筆箱から取り出したカッターナイフの刃先で文旦の赤道をクルクルとなぞると、鼻歌交じりでその皮をはぎ始めた。
力のある指先にねじ込まれた外皮が「ブツツ・・」と低い音を立てて霧状のエキスを放出。
すると、今まで教室内を取り巻いていたミートボールや焼きそばの匂いが、一瞬にして爽やかな香りにとって代わり、気がつくと教室内にいた20人ほどのクラスメートが全員鼻をヒクヒクさせながら、文旦を剥く男子の周りに集まっていた。

文旦は、むくときからすでにおいしい果物である。

やがて、お椀型に外された外皮の上に、内皮がついたままの小房が乗せられた。と同時に、いくつもの手が伸びてきて、皮をむいた功労者が手についたエキスをティッシュで拭き終わったときにはもう、食べあとの内皮だけが山をつくっていた。
ほんとうに一瞬のできごとだった。
内皮の山を見てキョトンとする持ち主。
そんな彼を見て、「さすがに悪かったな・・」という顔のクラスメートたち。
すると、人垣の中からおずおずと手が伸びてきて、食べかけのちいさな文旦のかけらが彼に手渡された。一瞬の緊張のあと、彼がポイっと口に放り込み、ニッと笑った。
すると級友たちはおたがいを見回し、教室内は和やかな笑いで包まれた。
文旦は、だれかとわけるともっとおいしい果物である。

級友たちがもふたたび彼の方を向いたとき、例のナップサックから二個目の文旦が現れた。
文旦のおいしさは、エンドレスである。

土佐文旦(ぶんたん)