月別アーカイブ: 2014年5月

10日目「9日かかった道を1時間で帰る」

歩数 0歩
距離 0km

朝5時半、岩本寺の宿坊で目が覚めた。
前夜は窪川の居酒屋で四万十川上流淡水漁業協同組合の池田組合長、高知新聞窪川支局長の楠瀬さんと竹内記者の4人で食事をした後、窪川の釣りバカたちが集まる家で「家飲み」して午前様になった。岩本寺の山門はすでに柵で閉じられていて、それを乗り越えてのご帰還であった。幸いにも玄関には鍵がかけられていなかったので、無事、部屋に入ることができた。真面目なお遍路さんならば、宿坊に午前さまで帰ることなどたぶんないであろう。罰当たりなことである。
贖罪のつもりだったわけではないが、翌朝の6時からの本堂の勤行に参加した。深酒はしなかったので、とても爽やかな朝の気分である。
岩本寺には、不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の5つのご本尊が祀られている。ご住職の窪さんによると、明治時代の神仏分離令とその後の廃仏毀釈運動などに翻弄された結果、最終的に岩本寺に5つの仏様が合祀されることになったのだという。だから住職の読経の中には真言が5つも読み込まれている。なんか得をした気分になる。読経の間、黒ちゃんは昨晩の深夜帰宅の不始末を詫びて頭を下げ続けた。

朝9時に荷物をまとめて岩本寺の宿坊を出発した。高知市に向けてそのまま窪川駅に向かうのが当初の計画であったが、目下「釣りバカ街道まっしぐら」の竹内記者の強い希望もあって(笑)、前出の池田さんのクルマで四万十川上流の大野見に向かった。そこで解禁になったばかりの鮎の友釣りをしようというのである。
さすがに鮎釣りの道具は持ってきていないので、楠瀬支局長が前日奔走してどこかから調達してきてくれた人さまの道具での釣りである。忙しい支局長を、こんな用件でさらに忙しくしていいのだろうかと、少し反省する。
半年前にアオリイカ釣りで「高知釣りバカ倶楽部」(実際にはありません。念のため)に加入したばかりの竹内記者、当然鮎釣りは初体験である。全長9mの竿「人生で持った最長の棒」(本人談)でなんとか人生最初の一匹を釣り上げて、今回のお遍路ードの全てのメニュー終了。組合長に窪川駅に送っていただいた。

我々の乗る窪川駅14時2分発高知行き「あしずり6号」の高知駅到着時刻は15時4分。9日間かけてコツコツ歩いた高知→窪川間を、わずか1時間で結んでしまう近代交通システムのスゴさを実感すると同時に、人の足のみが移動手段だった時代のリアルな距離感の喪失を想う。
歩き遍路の楽しさの真髄は、自然の一部としての人間の足が遺伝子レベルでかすかに記憶している「移動の喜び」とでもいうものを、あるいは坂本龍馬の時代の土佐の時間感覚を、束の間体験するからなのかもしれない、と気づいた。

お遍路ードの第一ミッション「はりまや橋➡︎31番竹林寺➡︎37番札所岩本寺」編の様子をブログでお伝えする黒ちゃんの「釣りときどきお遍路日記」は、今回で終了です。次の「37番岩本寺➡︎38番金剛福寺」編のブログは、6月後半スタートを予定しています。
ここまでのご愛読ありがとうございました。

9日目「ホトトギスの声の目覚ましで目が覚めた」

歩数 15912歩
距離 11,4km
総距離 139km

民泊をさせていただいた影野の林業家Mさんのお宅の離れで朝6時ちょうどに目がさめた。ホトトギスのさえずり、「東京特許許可局」の連呼である。いよいよ高知にも夏がやってきたな、と思いながら歯を磨いた。

5月のお遍路ードの最終目的地、四国霊場37番札所岩本寺に午前中のうちに着いた。計画では10日間かかる予定だったので、なんと1日早い到着である。これは想定外の事態だ。初めての歩き遍路、それも100kmを越す長丁場なので、途中で天候や身体の具合で思ように進めないこともあろうと想定していたのだが、天候も身体の調子も絶好調で、思いのほか予定が順調にこなせた。
同行の「釣りバカ街道まっしぐら」の竹内記者は「もっと釣りで寄り道をしておくんだった」と後悔しきりである。黒ちゃんは釣りが思うようにできなかったことにとくに不満はない(帰ってからゆっくりやります)。それよりも不安視していた自らの体力が、ぶっつけ本番の100km越えの「歩き遍路」にちゃんと通用したことに安堵している。

快適で爽快で、メチャクチャ楽しい歩き遍路旅だった。「苦しい」と感じた時間はほとんどなかった。お遍路ードプロジェクトが提唱する〜「正しい」お遍路の他に「楽しい」お遍路がある〜を確信した今回の旅であった。
「苦しく」なかった理由はなんだろう?と、色々と考えてみた。

1,ひとりではなくふたりで歩いたこと
2,先を急がなかったこと
3,1日の歩行距離を20km以内におさえたこと
4,3食をキッチリとったこと
5,夜も普通にお酒を飲んだこと
6,毎日規則正しい生活をしたこと
7,毎日原稿を書いたこと

以上のようなことだろうか。
で、1から6までは考えてみれば誰でも実践可能なことである。また、1から7まですべて「お遍路の掟」や周りの人々に迷惑をかけることでもない。どんどんやっちゃっていいことである。
「正しいお遍路」もよし、「楽しいお遍路」もよし、なのである。ぜひ「先を急がないお遍路倶楽部」(実際にはありません。念のため)にご参加ください。若い女性の方、とくに歓迎します(竹内記者のコメント)。

今晩は37番岩本寺の宿坊に泊めていただく。初めての宿坊体験である。明日の朝の「お勤め」も体験するつもりである。その様子は明日のこのブログでお伝えしよう。

8日目「歴史ある遍路道を台無しにする高速道路」

歩数 20285歩
距離 14,6km

本日のお遍路ードは、久礼から四万十町影野までに決めていた。通常、歩き遍路さんは、久礼からいっきに四万十町の37番札所岩本寺までの22kmあまりの行程を歩くのが普通だが、1日20km以内と決めている「急がない歩き遍路旅」の黒ちゃんにとって、岩本寺は少し遠すぎる。昨晩立ち寄ったスナック「論吐奈唖(ロンドナア)」のマスターの計らいで、手前の影野の知り合いの家に一晩泊めてもらうことになっている。

今日のルートは歩き遍路の難所のひとつ、久礼坂越えである。久礼の街から四万十町方面に向かう風情ある遍路古道があるというので、それをたどることにした。「添え蚯蚓(そえみみず)」というのがその名前である。一部に「ミミズ」という奇妙な名詞が入っている遍路道っていったいどんな道だろう。この道の他に「本蚯蚓」というルートもあるというではないか。好奇心がムクムクと湧き上がる。
パンフレットを調べるとくねくね道の様子をミミズに例えたのがそもそも語源らしいが、途中の山道にミミズがあふれている図が頭に浮かんできて楽しい。

ところが、添え蚯蚓の登り口から15分ほど気持ちの良い山道を進んだところで突然、高速道路に進路を塞がれたのである。じつは塞がれたのではなく、迂回を強いられたのだが、その迂回路が噴飯ものなのである。
コツコツ歩いてせっかく稼いだ高度を放棄せよとでもいうように、いったん下り階段をおり、高速道路の下をくぐってから、今度は天空まで達するかと思われるくらいの急階段をえんえん登ることを強いられる。念のいったことに、途中に休憩所まで作ってある。気の遠くなるような迂回路の急階段を息も絶え絶えに登りながら黒ちゃんは「なんかおかしい」と思った。

1200年かけて営々と築いてきた遍路古道をバッサリと切断して、歩き遍路さんにいらぬ苦行を強いる高速道路っていったい何なのだと。「作るな」とは言わない。しかし「作り方」に配慮がなさすぎる。高速道路を作る人々の心の中に1200年かけて築かれたお遍路文化や遍路古道、歩き遍路さんたちに対するリスペクトが少しでもあったらこんな設計図は書かなかったはずである。高速道路を跨ぐ歩行者専用道を一本渡せば済んだはずであろう。せっかくの歴史ある遍路古道の好印象を台無しにする暴挙、こんなことやっておいて、世界遺産登録なんてできるわけない。
道路を作る関係者の頭の中に「歩く人」の気持ちがわかるアプリをインストールしてくれる人、いませんかね。

7日目「トンネルの天国と地獄」

歩数 20079歩
距離 16,6km

竹林寺をスタートし、岩本寺までを目指す5月のお遍路ードだが、出発7日目にしてようやく本格的な山道に突入した。須崎市から先、四万十町までは焼坂と久礼坂という大きな峠を2つ越えるルートが待っている。黒ちゃんは竹内記者と相談して、これまではほとんどトンネル内を歩く必要のない、あるいはあえて歩かないルートを選んできたのだが、須崎から先はそうはいかない。新荘川(しんじょう)を渡ってすぐ、下分乙で初めて本格的な長さのトンネル内を歩かざるをえなくなった。
自動車と同居して歩くトンネルの中は歩き遍路にとって「天国」と「地獄」が同居する悩ましい場所である。まず、炎天下の国道を歩いてきてトンネル内に入ったとたん、サーッと気温が下がり冷房のよくきいたレストランに入ったようにホッとする。身体中の熱気が抜けていく。これが「天国編」。
一方、トンネルの中に車が侵入してきたとたんにものすごい暴力的な騒音が前や後ろ、上からも襲ってきて、車がトンネルを抜け切るまで延々と、しかも共鳴、増幅しながら続く。これが「地獄編」。
涼しさをありがたく感じるか、騒音を忌み嫌うか、歩き遍路にとってトンネル内歩行は大変に悩ましい環境なのである。
車と一緒に歩く遍路道をなるべく減らして、歩き遍路専用道を作るべきだと以前から主張している「お遍路ードプロジェクト」であるが、出発7日目にしていよいよ確信を強くした黒ちゃんであります。

柳屋旅館前をスタートしてから5,5km、竹内記者が「とってもステキな休憩所があるから寄りませんか」と言うので、国道脇のJR土讃線安和駅に行く。改札はなくホーム上にポツンと小さな待合所があるだけの無人駅のホームに立つと、眼下には信じられない大パノラマが展開していた。
均整のとれたアーチ型の砂の海岸線に白い波が細い縁どりを作っている。そしてその先にやや濃いめの青色がずっと水平線まで続いている。待合所の浅い屋根がベンチにちょうど良い日陰を作っていて、そこはまるでお大師さまが黒ちゃんと竹内記者のために予約しておいてくれた指定席みたいに居心地がいい。
この特等席からわずか20mしか離れていない国道をお遍路さんは通過しているのだから、小さな看板でもいいから「←お遍路さん指定席」という看板を出してあげたいと思った(笑い)。駅の時刻表を調べてみたが、安和は特急通過駅なので、各駅停車のみ上下あわせて一日15本しかこのホームには停まらない。通学時間を外せば、たぶんゆっくりのんび美しい安和海岸と土佐の海を観賞できる「ゆっくり遍路派」には見逃せない立ち寄りスポットです。

さて、安和駅の特等席で休憩した後、海岸でシロキスの投げ釣りをしていた若者たちを冷やかし、国道の焼坂トンネルを避けて、遍路古道がある焼坂峠へ向かう。かなり急な登山道を1時間ほど、はあはあ息を切らせながら登り切ると焼坂峠であった。眺望はきかないが、汗をかいてもすぐ乾く、風のよく通る気持ちのいい古遍路道だった。下りはそれほど傾斜がきつくない快適な登山道が沢沿いに続き、高速道路の脇をすり抜けて国道に復帰、2,5kmほどで久礼の市街地に至った。焼坂峠越え、先を急がない「ゆっくり遍路」さんにぜひお勧めしたい寄り道プランです。

6日目「釣りの禁断症状を治す」

歩数 10724歩
距離 7,7km

前日の青龍寺→桑田山温泉の寄り道ルート開拓に頑張りすぎた後遺症で、朝から腰が痛い。やはり、黒ちゃんの一日あたりの適正歩行距離は、20kmまでということがよーくわかった。
で、第6日目のお遍路ードは腰のことを考えてお休みにしようかと思ったが、次の日の行程を考えると、とりあえず須崎市内に移動しておいた方が都合よかろうということで、須崎市内の老舗旅館「柳屋旅館」までは歩いておくことに衆議一致した、といっても竹内記者と相談しただけだが…(笑い)。
じつは、須崎市まで進んでおこうと決めたもう一つの理由がある。最近釣りを始めて「釣りバカ街道」まっしぐらの竹内記者が、昨晩あたりから釣りの禁断症状を訴えて大騒ぎするので、午後に須崎の野見湾あたりで釣りをして症状の改善を期そうということになったからなのである。
「黒ちゃんのブログのタイトルは[釣りときどきお遍路日記]なのに、お遍路しかしてないじゃない。これじゃあ公約違反じゃないの。せめて[お遍路ときどき釣り]ぐらいにはしておきましょうよ」と竹内記者が屁理屈をこねるので、やむをえず午後は須崎市の江戸前、野見湾に繰り出すことになった。

今回のお遍路ードに持参してきている釣り道具は、振り出しの万能ルアー竿、2500型のリールにPEの0,8号を巻いたもの、スズキ用のバイブレーションタイプのルアー2個、アオリイカ用の餌木2本、アジング用のワーム2袋、ジェット天秤2本、キスの仕掛け1袋。以上で全てである。
こう書くとものすごい装備のようだが、サブバッグに全て収まるミニマムセレクトである。1gでも荷物を軽くしたい歩き遍路には「あれもこれも」の釣り装備は不可能。泣く泣く絞り込んだのである。
午前中に柳屋旅館に着き荷をほどくと、昼食も取らずに須崎市商工会の松田さんに船の手配をお願いして、松田さんの車で大谷港に移動。昨日のヒイヒイ言いながら歩いた道を浦の内方面に戻る。車を使うと徒歩で1時間以上の距離がわずか5分である。なんか複雑な気持ちだ。

野見湾では正体不明の大物に2度も仕掛けを切られる失態があったが、活きのいい15cmくらいのマイワシを200くらい、もう少し大きめの小サバを30くらい、20cmオーバーの良型シロギスを数匹釣り上げた。
途中「橋本食堂」の鍋焼きラーメンで遅い昼食を済ませ、柳屋旅館に戻り、ひと風呂浴びた爽やかな身体でこの原稿を書いている。隣の部屋からは明日の朝刊の記事を書く竹内記者のキーボードを打つ「カタカタ音」が聞こえてくる。6時までに原稿を送らないとデスクに叱られるのである(笑い)。
釣りの禁断症状はどうやら収まったようだ。
明日は中土佐町久礼(くれ)まで、20km弱のお遍路ードの予定である。

5日目「アイルトンセナのマネして疲労困憊」

歩数 32167歩
距離 23km

5月14日(火)の午後4時30分ごろ、黒ちゃんは須崎市吾桑(あそう)の山中にある桑田山(そうだやま)温泉の露天風呂「まどろみの湯」の中でグロッキーになっていた。一瞬だが気を失いそうにもなった。今日の行程が予想外にきつかったのである。
お遍路ードの5日目、朝8時過ぎに宇佐のお遍路の宿「三陽荘」をチェックアウトしてゆっくり青龍寺に参拝、境内から700mほど古いお遍路道を登ったところにある奥の院まで足を伸ばしたまでは余裕だったのだが、気がつけば巡航船の出港時間まで1時間しかなくなっていた。乗船を予定していた松ヶ崎の乗船場までは、GoogleMAPで調べると、下って浦の内湾の水辺を迂回しても、登って明徳の坂を下って湾に出ても、どっちも5km強ある。「どっちが早い?」と再度Google君に聞くと明徳ルートの方が少し早いとの意見。あわてて横浪ハイウエイを超早足でF1レースのアイルトンセナのように(古い!)駆け抜けて、出港5分前に松ヶ崎渡船場に駆け込んだのだが、この時かなり無理をしたのが後になって効いてきた。

昼ごはんは国体カヌー会場のある坂内で、須崎市観光協会の松田さんの「わら焼きカツオ」と「ヒラ鯖の刺身」のご接待を受けて、胃袋に燃料を十分補給して午後1時に本日の宿泊先の桑田山温泉を目指したのだが…。
須崎のk,s電気の大看板が見えてきたあたりからポツポツと雨粒が落ちてきたのに加えて、太ももに疲労がたまって足がずんずん重くなってきた。国道494
号線から桑田山に向かう分岐あたりからは、こんどはザックが肩に食い込んで痛くなってきた。足は重い、肩は痛い、雨は本降り。まさにお遍路さんの3重苦である。
やっぱり!青龍寺の御本尊「波切り不動さま」の罰が当たったのかも。じつは昨晩、夜釣りをするので、竹内記者の執筆時間を確保しようと青龍寺参拝を翌日に先送りしたのだが、それがよくなかったのかも。肝心の夜釣りはみごとにボウズだったし。やっぱり昨日のうちに済ませておけばよかった。後悔先に立たずである。

ところで桑田山温泉だが、黒ちゃん、最初にこの温泉のことを聞いた時「ソーダ山」という音を聞いて、てっきり炭酸泉の温泉だと勘違いしたという恥ずかしい話がある。泉質は無色透明の硫黄泉で、男女別の露天風呂が風情があって素晴らしいのだが、何時間つかっていてもすね毛に泡はつかない(笑い)。
くわたやまと書いてそうだやまと読めるひとは高知県人以外にそんなに多くないと思うが、いかがだろう。この温泉、気に入って何度か日帰り入浴で来ていたので、今回は思い切って「寄り道遍路」の宿泊所にしてみたのだ。須崎→中土佐→四万十町というお遍路正規ルートを少し外せば、こんなに素敵な温泉宿があるのである。先を急がないお遍路さんは、ぜひ一度立ち寄っていただきたい秘湯である。

4日目「私設展望台でご接待」

歩数 17652歩
距離 14km

お遍路ード4日目の行程は、2泊した土佐市のホテルから宇佐の36番札所青龍寺までの12kmほど。距離的にはほんの半日コースだが、途中「塚地峠」という歩き遍路の難所がある。トンネルを使えばわずが10分くらいで通過できるが、ここはがんばって、昔から使われてきた峠越えの古い遍路道を選んだ。塚地峠の標高は190m、塚地峠越えは標高差140mの急峻な山道を越えるルートであった。塚地峠越えの道は、高知県が唯一遍路道の史跡指定を検討している歴史ある道だそうで、昔はお遍路さんだけでなく、宇佐で獲れたカツオを土佐市に運ぶカツオ道でもあったという。
きれいに整備された登山道は一歩足を踏み入れるとまるでエアコンをめいっぱい利かせたフィットネスクラブのように涼しい。日差しも周囲の杉林が遮ってくれるのでものすごく気持ちがいい。時間を惜しんでトンネルの中を排気ガスと車の騒音を背負って歩くか、時間を捨てて気持ちのいい歩きを選ぶか。先を急がない黒ちゃんは迷わず後者を選んだのだが、この選択がとんでもない幸運を呼ぶとは、さすがのお大師様も予想できなかっただろう。

30分ほどの快適だが急峻な山道を登り切り、塚地峠の看板の横で休憩していると、宇佐側の山道をにぎやかに登ってくる5人ほどの私と同年代の男女の集団に出会った。これから宇佐に下るところだと言うと、「すぐそこに景色のものすごい場所があるから一緒にどうぞ」と誘われた。塚地峠から大峠に向かうハイキングルートからちょっと東に外れたところにその私設展望台はあった。
「私設」と書いたのは文字通り、彼らが自分たちが楽しむために作った民営の(笑い)展望台だったからである。極太の孟宗竹で作られた居心地のいいベンチが3つ、宇佐湾を見下ろす絶好の位置に据えられている。宇佐湾から吹き上げてくる風が汗をさあっと運び去っていく。なんという心地よさ、なんという美しさ。「きっとこれは、歩き遍路さんだけに塚地峠が用意してくれたご接待なのだ」と心からそう思う。
結局、この私設展望台で小一時間ほど休憩して山道を宇佐に向けて下り、港の入り口に関所のように構えているひるめし処「宇佐もんや」に到着したのは12時少し前だった。塚地峠の熟年集団に「宇佐で昼ごはんを食べるとしたら、どこでしょうかねえ」と聞いて間髪入れずに返ってきたのが「宇佐もんやのウルメ丼」だったのだ。

昨日のランチは狙っていたクジラカツ丼が売り切れだったので、ひょっとして今回も…、と少し心配だったが、「漬けのウルメ丼」は大丈夫だった。よく漬かったウルメイワシの刺身を熱いごはんの上に乗せ、上から刻みネギと海苔、おろし生姜をふりかけてある。少し濃いめの味付けながら、とれたての新鮮なウルメイワシを使わなければ作れない素朴で上品な味の丼でした。
店のおかみさんに聞くと、お遍路さんの立ち寄りは意外と少ないとのこと。よくよく考えてみれば黒ちゃんみたいに遅い出発(朝8時半)でかつ塚地峠越えというのんびり遍路さんしかランチタイムにこのお店の前を通過しないから当然といえば当然かも。黒ちゃんみたいな「のんびり遍路さんが増えると、宇佐もんやが儲かる」って。(なんのこっちゃ)
今日の目的地36番青龍寺まではあと1時間弱。「宇佐もんや」の商売繁盛を祈りながらおかみさんに別れを告げた。

3日目「雨遍路は空身遍路がいい」

歩数 14389歩
距離 10km

お遍路ード3日目は初の「雨遍路」になった。ふつう雨の中の遍路は辛く気分が滅入るものだが、それは体が濡れて体温を奪う、雨具を着るのでなんとなくうっとうしいなどの理由からだと思う。加えて重い荷物を背負ってとなると「楽しい遍路」には程遠いことになる。そこで黒ちゃんは「楽しい遍路プロジェクト」として初の雨遍路に備えて2つの工夫をした。ひとつは空身で歩くこと、もうひとつは最先端の防水仕様の装備を用意すること。
空身(からみ)とは荷物を持たないで歩くことです。以前、何度も四国遍路をやっているという年配のベテランお遍路さんの話を聞いた時に、「黒ちゃん、お遍路はそれほど大変じゃないんですよ。空身で歩ければお年寄りでも楽にできます。私は荷物を泊まる先々に送っておいて、その都度送り返しながら空身で歩きましたから」と言っていたのを思い出した。で、宿にザックとアイパッドなどの重い通信機材をすっかりおいて、雨具と傘と首にかけるサブバッグだけを持って清滝寺を目指しました。
背中の荷物がないだけでなんと身軽で爽快になることか。目からウロコではなく、背中からウロコが落ちる感じでした。(なんのこっちゃ)できるだけ荷物を軽くするミニマムシフトは歩き遍路の常識ですが、この究極のミニマムシフト「空身お遍路」も試してみてはいかがでしょう。もっともクルマと歩きを組み合わせたハイブリッドお遍路を実践されている方はすでにこのスタイルを使っていると思いますが。

最先端の防水仕様はゴアテックスです。ご存じない方のためにすこし説明すると、ゴアテックスは30年以上前に開発されたナイロンと特殊フィルムを貼り合わせた新素材です。水は通さないが通気性はあるという性質があり、蒸れなくて快適なので、雨具や靴、帽子、テントなどアウトドア系のウエアや装備にどんどん使われています。今回のお遍路に備えてアウトドア用品メーカーのモンベルがライセンス生産しているイタリアの靴メーカーアゾロのゴアテックス靴、ゴアテックスの上下レインウエアを用意していたので、さっそく使ってみましたが、軽くて蒸れず、極めて快適でした。これに登山用の軽量折り畳み傘を加えて「雨遍路3種の神器」と名付けようか、と思います。(笑い)

土佐市から清滝寺に向かう道は車道を通りたくないのでGoogleMAPの「歩き」モードで検索したルートをたどったのだが、これがなかなかステキな道を選んでくれる。農道、住宅街、細い切り通しなどクルマでは絶対に入り込むことのないしぶ〜いルートを案内してくれる。「グーグルって外国人なのに日本の地理にこんなに精通してるなんて、結構やるじゃん」ってな気分になりました。
清滝寺は土佐市を見下ろす山の中腹に建てられていて、境内からは市内が一望できる好立地。今日は雨に煙る水墨画のような土佐市を一望することができました。ご本尊は薬師如来、真言の「おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか、」と「南無大師遍照金剛」を唱えていると、黒ちゃんのお腹が「ぐうぐう」と唱えはじめた。そろそろお遍路ランチモードだな、ということでまたまたGoogleMAP君に道案内を託して人気ランチの店「稲月」へ針路を決める。
しかし!!お目当ての「クジラのレアカツ丼(ワインソース)」は品切れだった。ザンネン!すっかりクジラに照準を合わせていた胃袋をなんとかなだめすかして「鰹の天麩羅わさび銀飴」で手を打ちましたが、カツオと天ぷら、意外に相性がいいのを発見しました。